村長ブログ

思ったことを書いてます

夢十夜 第一夜

 

夏目漱石夢十夜 第一夜を見た

 

なんとも言えない気持ちになった

 

僕なりに、この話の本質を考えてみた

 

こんな文がある

 

わたしが死んだら

土に埋めて下さい

大きな真珠貝で 掘って
星の破片を 墓標に置いて

墓の傍で 待っていて
また 逢いに来ますから

日が昇るでしょう
それから 日が沈むでしょう
それから また昇るでしょう
そうして また沈むでしょう

百年 待っていて
きっと 逢いに来ますから

墓の傍で 待っていて
また 逢いに来ますから

 

 

 

大きな真珠貝で穴を掘る訳だが

 

真珠貝で穴を掘るのは

とても大変なことだろう

 

真珠貝とは愛すべき貴い女性の象徴である

 

愛すべき人のために人が1人、入る穴を掘る

 

 

男が女をとても愛してることがわかる

 

 

 

星の破片を墓標に置いて、とある

 

星とは宇宙にあり

土に埋める事は不可能だ

 

地球に落ちてきたちっぽけなものを

探し出して埋める事はできるが

それはとてもとても大変なことだ

 

愛する女のためでなければ

到底出来ることではない

 

 

墓の傍で 待っていて…

から最後までのところだが

 

男が百年生きることは、

百年待つことは、

恐らく出来ないであろう

 

 

それでも男は女の言葉を信じて

待つのだ

 

もう会えないと

わかっていたかもしれない

 

嘘かもしれないと思いながらも

待つのだ

 

愛しているから

 

 

その後

 

女を埋めたところから

百合の花が咲き

 

百年が経っていたんだなと気づく

 

 

百合の花だが

 

(百)に(合)うと書いて

ユリと書く

 

百年経って会いにきてくれた

この花は女なのだと男は感じている

 

 

 

この話だが

男と女 天と地 生と死

のような対照的なものを描いていると思った

 

そしてこの対照的なものが

一つになるのは

 

 死 という

 

ゴールを迎えてのことだ思う

 

 

天と地だが

 

星としての役目を終えたものが

地球に落ちてくる=死んだ星

と考えることができる

 

死んだ星のみが

土に帰ることができる

 

 

男と女だが  

 

けして

同じになることはないのだが

死をもって、肉体がなくなり、魂になり

男も女もなく、一つになる

 

生と死だが

 

生きてるいるものは

その一生を終えて、死となる

 

 

この様に死とは全てのゴールなのだ

 

しかし

愛というものは、生も死も、

関係なく繋がれていく

 

生きてる者が死んだ者を

思うことはできるし

 

死んだ者が生きている者を

思って死んでいったのなら

生きてる者を思うことはできるはずだと思う

 

つまり

死というゴールで全てが一つになるが

 

愛というものは

生も死も、男も女も、関係なく

繋がれていくものなのだ

 

この世で全てに関係なく

愛とは不変なのだ

 

この話は

愛の素晴らしさ、大切さを

伝えてくれる

 

そんな話だと思った。