村長ブログ

思ったことを書いてます

人を呪わば穴二つ

 

人を呪わば穴二つ

一度は聞いたことがあるのではないだろうか?

 

人に手を出せば、仕返しで損害を受けるのは目に見えているので、理不尽な目にあわされても他人に手を出してはいけないという戒めからきている。という意味らしい

 

[人を呪わば]は陰陽師の使う呪いを意味し

[穴二つ]は呪い返しを覚悟した陰陽師が相手と自分の墓穴を掘ったということである

 

これの有名に話が丑の刻参りがある

丑の刻参りとは深夜1〜3時の間に、白装束を着て神社に行き、相手の髪の毛を入れた藁人形を

木に打ちつける。というものである

 

これにより相手に呪いをかけることができる

しかしその姿を誰かに見られると呪いが自分に返ってきてしまうというものだ。

 

自分のしたことは自分に返ってくるのである

 

それなら

「人を助けて花二つ」 (創作語)

でいこうぜい

 

人間は善なのか悪なのか

 

性善説性悪説

一度は聞いたことがある言葉だと思う

人間の本質は善か悪か

 

では

そもそも善悪とはなんなのだろうか

 

ライオンがシマウマを捕食することは

善なのか悪なのか

 

シマウマからしたらライオンは悪だし

ライオンからしたらその行為は生きるための

行為なので善になる

 

このように

自然界で生きている動物たちには善も悪もない

 

しかし

人間はどうだろうか

 

人間の行為を単純な善悪で判断するとなると

少し難しい

 

例えば、万引きをした人がいるとする

その人にとっては生きる為に取ったのでその人に取っては善かもしれない

 

しかし

実際には法を犯している為

犯罪になってしまう

 

人間が動物として生きていくならば善悪はないと思うが、人間が人間として生きていくには善悪を決めないと成り立たなくなってしまう

 

「大前提として人間が人間として生きていく」

上では善よりも悪の方が強くなるんじゃないかと思う

 

性善説が正しいならば法律やルールなんて作る必要はないし、全ての国がマルクスの理想とした社会主義でやっていけるはずだ

 

そうではないところを見るとやはり悪の方が

つよい気がする

 

善悪 の比率3.7

ぐらいかな!笑

 

だからこそ人間は人間なんだし

良いことをしろ悪いことをするな

 

これが人生のテーマなんじゃないかな

 

 

 

幸せはいつも自分の心が決める

 

幸せはいつも自分の心が決める

 

相田みつを、の言葉だ

 

 

本当にその通りだと思う

 

 

 

では

幸せとは何なのだろうか

 

お金持ちになること、高級な物を食べること、海外旅行に行くこと、

 

人それぞれだろう

 

しかし

考えても見て欲しい

 

お金持ちではない、

ファミレスでご飯を食べている、

旅行にはいけないが、

近くの公園を散歩している

 

これらの人は

幸せではないのだろうか

 

そうだと言う人もいれば

そうじゃないと言う人もいるだろう

 

 

だが

思い出してみて欲しい、

 

子供の頃に百円をもらい

駄菓子屋で買った駄菓子の味

 

友達や父、母と遊んだあの公園

 

 

子供の頃は、百円を貰えるだけで

あんなに嬉しかったじゃないか

その百円で買った駄菓子は

あんなにも美味しかったじゃないか

 

みんなで遊んだ公園は

あんなにも楽しくて輝いていたじゃないか

 

あの時間は

間違いなく幸せだったはずだ

 

 

 

人は何事にも慣れてしまう

 

百円では足りなくなり

駄菓子の味に飽き

公園にも飽きて行かなくなる

 

あんなにも幸せだった場所は

いつしか退屈な場所、物になってしまう

 

幸せはこんなにも近くにあったのに

自分で遠ざかってしまっているのだ

 

 

忘れないで

本当の幸せはこんなにも近くあって、

感じ方一つで幸せに感じられるんだ

 

 

 

 

それに気づけた時

本当の幸せになれるのかもしれない

 

 

幸せはいつも自分の心が決める

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅葉と感情

 

昨日、紅葉を見に行った

 

とても感動して

30分程ベンチに座り眺めていた

 

去年見たときとは

全く違う感じ方だった

 

去年見たときは、景色の中に

家や電柱などの人工物が混じっていると

がっかりしてあまり綺麗だと思えなかった

 

人工物がその景色を、

壊している様で嫌だった

 

 

紅葉を見に行っても、まるっきり人工物のないところにいかなければ綺麗だと思えなかった

 

 

だが

今年は違った

 

景色の中に人工物があっても

関係なしに綺麗だと思えた

 

物事を分けて考えることが出来る様に

なったのかもしれない

 

紅葉している木々は、同じ景色の中に人工物があろうとも、其の物の美しさが変わることはないのだと思った

 

このように

人間の感情は常に変化していく

 

季節の変わり目、満点の星空、満月の夜、等

決して変わらないものを見たときに、

変化に気づく事が出来るのかもしれない

 

そして

 

大きな自然の力と共に

 

自分の成長に気づき、成長していく

 

人間って綺麗ですね

 

 

 

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羅生門とコロナウイルス

 

芥川龍之介羅生門を読んだ

 

この話だが、

 

荒れている平安時代末期

 

お屋敷の使用人をクビになった、

下人の話である

 

 

クビになった下人は行くとこがなく

羅生門にたどり着く

 

かつては輝いていた羅生門

荒んだ時代のせいで見る影もない

 

噂では羅生門の上には

身寄りのない死体が放棄されているという噂だ

 

泊まる場所のない下人は

羅生門の上で眠ることにする

 

上にあがると。

猿の様な婆が女の死体から

髪の毛を抜いていた

 

その瞬間下人には

婆の行為が許せなくなり

 

婆を捕まえて何をしているか問い詰めた

すると婆は、

 

この女は生前、蛇の干物を魚の干物だと

嘘をついて売っていた

 

この女は悪いことをしていたから

私の行為も許すだろうと

 

下人はそれを聞き

その婆の着ている着物を追剝し闇に消えていく

 

というものである

 

この短い話に、

人間のというものが詰まっている気がする

 

人間生きる為には、何でもするのだ

 

女は蛇を魚と偽って売り

 

婆は生きる為に死人から髪の毛を抜き

 

下人は婆の着物を追剝する

 

 

人間、自分が一番大事だ

自分が生きる為ならなんでもするし

 

自分に危険が及んだら

それを排除しようとする

 

それは生き物として

至極真っ当な事だ

 

 

魔女狩り、絵踏み、等

 

自分がターゲットにされない為に

人のことを密告したり

 

自分と違う人達を殺したり

 

人間とは自分が生きる為に

他人の命を平気で犠牲にするモノだ

 

 

ここで

コロナウイルスが出てくるが

 

 

コロナにかかった人が

嫌がらせ、家に張り紙などをされて

 

引越しや、自殺してしまう人もいる

 

とても悲しいことだが

 

思い出してほしい

人間とはそういうモノなのだ

 

人間の歴史から見れば

普通の事だ

 

考えても見て欲しい

 

自分のとなりに住む人が全く予防もせずに

遊び回り、コロナにかかったなら

 

どこかに行って欲しいと思うのが

普通ではないだろうが

 

僕は、それが普通だと思う

 

人間の本質は、環境が良くなって見えなくなっているが絶対に変わらないのである

 

そうならない為にも

 

もう一度、

気をつけなければいけないのかもしれない

 

 

 

 

夢十夜 第七夜

 

夢十夜 第七夜を読んだ

 

この話だが

主人公 (自分)は、大きな船に乗っている

この船は毎日毎夜、黒い煙を吐きながら進んでいく

 

自分はこの船がどこにいくのかを知らない

 

船の男を捕まえて話を聞こうとしても

相手にしてくれない

自分はいつ丘に上がれるのか

不安を感じている

 

船が進むことで起きた波を見ていると

いっそ身を投げて死んでしまおうかと

思い始めている

 

 

船には、泣いている女、天文学を話す異人、

船に乗っているのを、忘れているかのように

ピアノを弾く女と唄を歌う男がいた

 

自分はさらに詰まらなくなり

海に飛び込むことを決意した

 

ある晩、人がいないことを確認して

海に飛び込んだ

 

足が甲板から離れた刹那

命が惜しくなり、酷く後悔した

心の底からやめておけば良かったと思った

 

だがもう遅い

どれだけ後悔しても自分は海に

落ちなければならないのだ

 

その時間は一瞬だが

とても長くて感じられた

 

すぐに船は自分を置いて行ってしまった

 

あんな船でも乗っておけば良かったと

思うが、その悟りを利用することもなく

波の方へ静かに落ちていった

 

 

 

 

 

 

 

この話だが人生を

表しているのではないかと思った

 

この船は何処に、何の為に、

進んでいるのかもわからない

先が見えないのである

 

人生も同じである、何の為に

生きているのかわからない人が

ほとんどであろう

 

先のことを考えて不安になることも多い

 

だが

僕は思う

 

人は過去にも未来にも行けない

どれだけ後悔しても、やり直す事は出来ないし

未来に行くこともできない

 

人には、今という時間しかないと思う

出来もしないのに、たらればや

先のことを考えて、不安になることに

意味なんてあるのだろうか

 

過去を振り返って反省をしたり、

未来の自分に期待するのは

とても良いことであるが

 

意味のないことを

考え過ぎている気がする

 

この話の主人公が、

ピアノを弾く女、唄を歌う男を見たときに

ますます詰まらなくなったのと同じ様に

 

人は、自分が悩んでるときに楽しそうにしてる人を見るとよく思わないみたいだ

 

だが

時間は、全員同じだけ進んでいく

悩んでいても、楽しんでいても

悲しんでいても、喜んでいても

同じ時間なのだ

 

 

 

それなら、もっと今という時間を、

二度と戻らないこの一瞬を、

 

船で天文学を話す異人や

ピアノのを弾く女、唄を歌う男のように

楽しめたらいいですね

 

 

 

仮面の女と老婆 下

 

次の日

彼女は小さな池には行かなかった

 

しかし

命を絶ってはいなかった

 

彼女は、カエルとの約束を

すっかり忘れていた

 

 

彼女は、街にいた

 

自分の顔を見た彼女は、

居ても立ってもいられなくなり

街に出た

 

 

無論、仮面はつけていない

家を出てすぐに

近くの森に隠してきた

 

 

 

街に出たら

ゆく人来る人が、振り返り、噂をする

 

それが

恥ずかしいような、恐ろしいような

くすぐったいような、感じがして

心地よかった

 

その日は、1日街を歩き

仮面をして家に帰った

 

家に帰ってからも、興奮は治らなかった

母親に内緒で仮面を外し

 

皆が自分を

仮面の女だと知らないで噂をする

 

背徳感と開放感と少しの不安で

眠れなかった

 

次の日も

仮面を外し街に出た

 

今迄とは、打って変わって

街の男たちが話かけてきた

 

彼女は、たくさんの男たちと話

いい気分で家に帰った

 

次の日も

その次の日も、街に行き

男たちと話した

 

帰りの道すがら

仮面を取りに、森に行くと仮面が

無くなっていた

 

 

彼女は酷く焦り

夜まで仮面を探したが、見つからず

仮面を付けずに家に帰った

 

家に帰ると、母親は心配して

玄関で彼女を待っていた

 

仮面をしてない彼女を見た、刹那

安堵の表情をしていた母親が

泣きそうな顔をし、

そして

すぐに怒りの表情に変わった

 

彼女は、

仮面を外したことを酷く叱られた

 

母親は

今迄に見たことない程、怒っていた

 

しかし

今迄、何を言われても反抗しなかった彼女が

初めて母親に反抗したのだ

 

「お母さんだった嘘をついてたじゃない、

 私のが酷い顔だから仮面をつけたって」

 

母が黙っていると

 

彼女は続けた

 

「私の事が大嫌いなんでしょ、

 お母さんなんてもう知らない」

 

彼女は家を飛び出していた

 

行く先なら沢山あった

 

今日話した男のところだ

 

男の家に行き事情を話し

泊めてもらった

 

男は優しかった

女と一緒に母親を非難した

 

その日から

女は家に帰らなくなった

 

男の家を転々とした

男たちは皆、女に優しかった

なんでもしてくれた

 

食事をつくり、好きなものを買い、

女の言うことはなんでも聞いた

 

初めは感謝していた女だったが

 

だんだんと我儘になり男のすることに

文句を言うようになった

 

そうすると

あれだけ優しかった男たちは面倒くさそうな顔をして、女を追い出した

 

やがて街中すべての

男たちが女に声をかけなくなった

 

行く宛がなくなった女は

1人、森で泣いていた

 

泣いて泣いて泣きつくし

やがて涙も枯れてしまった

 

その時、女は

 

ふと、

カエルとの約束を思い出した

 

そう思うと

体はすでに動いていた

 

期待と不安と申し訳なさと

色々な感情が走った

 

そう思うと尚更、

体は急いでいた

 

 

走りづけると

やがて小さな池が見えてきた

 

足を止めゆっくり近づいていく

 

いつもカエルと話した場所が

見えてきた

 

 

駆け足でその場に行くと

そこには、カエルの姿はなかった

 

 

枯れたバラの花が

一輪置いてあった

 

 

 

 

彼女は小さな池で

今もカエルを待っている